「伝統がなければ、芸術は羊飼いのいない羊の群れにすぎず、革新がなければ、それはただの亡骸である」
これは、ウィンストン・チャーチルの言葉であります。
私は、大学生の時、この言葉に出会い、稲妻に打たれたような衝撃を受けました。それ以来、心に刻まれたこの言葉が脳裏から離れることはありません。私が生まれ育った京都というところは、何百年、長くは千年にわたって、経糸である伝統と緯糸である革新が、時に重く、厚く、また繊細に、また軽やかに、正しく西陣織の綾のように時代、時代を織り成して来たものであると思います。
その複雑さは到底、文章であらわすことは不可能に近いことでございましょう。長年、代々この街に住み続けてようやく、すなわち五十を越し、その漠然とした、正体がぼんやりと認識できるようになったと思うものであります。かといって、それはあくまで、私の家業である料理や祇園町周辺の経糸に沿った部分にすぎず、全体からすると、ほんの一合目か二合目の理解でしかありません。この歳になって、はじめて解ったことは、この京都という街の峰の高さ、淵の深さであります。私ども「浜作」は、日本最初の板前割烹として昭和二年に祖父、森川栄が創業し、二代目を父、武が継ぎ、父の急逝により、私が三代目を継いで、三十年。昭和の御代と同じく産声をあげて九十四年、いわば京都では、まだまだ新参者の部類でございます。
ゆえに、私のような若輩が、京料理という伝統ある偉大な領域を代表する資格を有するものとは到底思ってはおりません。そのことは重々承知のうえで、僭越ながら、拙論をここに御披露申し上げます。

現状の京都を取り巻く状況は、まさに「京都バブル」と言えるものであります。この急で激しい潮流に乗り遅れまいと、過当競争のなか、必死で格闘し、心身ともに消耗しながらも裔業的成功を収めるか、一方、それを望まず、あえて創業以来の理念を貫くことによって、事業規模を縮小、あるいは廃業してしまうかの究極の二者択一の選択を、京都で商売をするものは、否応なく迫られている昨今であります。今のような外国の方をも含む無秩序な爆発的な観光客の増加は、表面的には街は活況を呈し、その施策は成功しているように見受けられますが、しかしながらそれは、一部の限られた人たちだけが巨利を寡占することとなってしまい、従来通りに真っ当に慎み深く家業を継承しておられる大多数の商売人の皆様にとっては、ほとんどその恩恵を受けることがありません。これは、いまだかつてない、実にいびつな格差を生んでおります。千年にわたって、日本の都として、ほどよいバランスで複合的な発展を続け、大都市となった我が愛すべき京都の街の成り立ちからは、明らかに違う道筋を歩んでおります。

不肖私と同様に、この悲しい京都の現実を憂えておられる方は、実にたくさんおいでになります。周りの京都人はもちろんのこと、真の日本らしさ「こころの故郷」「慎ましやかさ」「雅」「静寂」「わび・さび」等々……他の土地にはない京都特有の魅力を求めて入洛なさる、東京をはじめ他府県のお客様のたくさんの方々も大変このことを残念に思い、憂いをお持ちであります。これ以上、京都が荒み、崩壊していくことは慚愧に堪えません。元来、京都は、ストレートに意見を発表することをあまり良しとしない風潮が「慎み深い美風」として色濃く残っている街でございます。重ねて申しますが、あえてこの美風に逆らい、当事者としての偽らざる危惧をここに申し上げる次第でございます。

この度皆様には、マスコミの限られた情報に左右されず、ご自分の「目」「耳」「舌」「心」を最大限に活用なさって知的好奇心を満足させるための、道しるべとなるサロンを提供できましたらと考えております。

分けのぼる麓の道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな

一休宗純

麓から頂きへ向かう道は幾筋もありますが、私はその山登りの案内役となり、皆様には大変なご時世に束の間の安らぎと癒しの時間をお過ごしいただければ幸いでございます。

各回それぞれに、本領であります料理は勿論のこと、美術・絵画・陶芸・京都の名物・京都人・歌舞伎・クラシック・ジャズ等ありとあらゆる、心を豊かにする愉快なこと、楽しいことを、ジャンルを問わず盛りだくさんに皆様にお届けしようと思っております。

何卒宜しくお願い申し上げます。

京ぎをん浜作三代目主人　森川裕之